【ウッドバッジの変遷】
ディニズルのネックレス(ウッドバッジ)を模して600個のビーズで作製してみました。(2004.1.20)
★1888年 B−Pがズールー族の酋長ディニズルが所有していたネックレス(ウッドバッジ)を戦利品として取得する。
※ネックレスは24フィート以上あり、2000個からなる南アフリカのイエローウッド(South African Acacia Yellow Wood)から作られていた。ビーズは小さいものや大きいものは4インチのものまであり、大きさはいろいろであった。この木には髄(pith)があり、穴をあけて革ひもを通すことが容易であった。
★1919年 ウッドバッジ訓練が始まる。
BーPが指導者訓練コースを開設したときに、参加者達が訓練の記念になるものを頂けないかとたずねた。特段の考えがなかったがBーPは自身が持っていたビーズを取り出し、ブーツの紐に結わえてそれぞれの指導者の首からかけた。
※修了者にウッドバッジを与えた。初期のウッドバッジ訓練ではギルウェルでの実習教程を終えると1個のビーズを授与され、一定期間の奉仕訓練を終了すると二つ目のビーズが授与された。最初のビーズは総てオリジナルのネックレスから取り出して渡されたが、すぐになくなってしまうので1つのオリジナルのアカシアビーズを渡し、もう一つはHornbeam(樺の一種)かBeech(ブナ)で作ることにした。
その後、二つともブナの木のビーズに代えられ、ギルウェルのスタッフが閑時作業として作っていた。B−Pはスカウトハットのひもにビーズを取り付けることを考えていたが、スカウトハットをかぶるのは野外だけであるため、首からかけるようにした。
※2個のビーズは隊指導者が着用し、3個のビーズはAssistant Leader Trainerによって着用され、4個のビーズはLeader Trainerによって着用されるようになった。
※ギルウェルパークにはギルウェルオークと呼ばれる樫の木があり、「ビーズは決してギルウェルオークから作られたことはない。」という言い伝えがあるが、ディニズルからのビーズが底をついてからはギルウェルオークのビーズは確実にいくつかは存在するらしい。
★1922年−1925年
ウルフカブの指導者にはウッドバッジに代わって、革ひもに一つの牙がついたアケーラバッジ(Akela Badge)が授与された。ウルフカブのリーダートレーナーはアケーラリーダーとして二つの牙を着用した。使用された牙は骨状の牙か木製のレプリカであった。1925年にこの制度は終わった。
★1925年 (11月13日)指導者訓練のバッジは部門を表示するために色つきのそろばん型のビーズを革ひもに付けることにした。カブ部門のビーズは黄色、スカウト部門が緑、ローバー部門は赤とした。しかし長続きしなかった。
1927年10月14日の委員会決定により廃止された。その後は従来のウッド
バッジが引き続き採用された。
1920年代、1930年代に何人かが5ビーズを贈呈された。
※B−Pは6ビーズを着用していた。
※B−Pはサー・パーシー・エベレットにも6ビーズを贈呈している。
Sir Percy Everett はブラウンシー島以来の友人であり、訓練担当のコミッショナーでもあり、実際にはチーフスカウト代理を務めていた。
※Sir Percy Everett はギルウェルキャンプチーフが6ビーズを着用するため6ビーズを返還した。
ギルウェルキャンプチーフのジョン・サーマンは退職する1969年まで
6ビーズを着用し、退職後は指導者訓練のディレクターであったブライアン・ダジソンが引き継いだ。1983年にエグゼクティブコミッショナーのデレク・トワインが受け継ぎ着用した。現在ではプログラム開発ディレクターのステファン・ペックが着用している。
★現在、イギリスでは3ビーズ、4ビーズを授与することを停止している。
※ディニ・ズルのビーズは宗教的な意味を持つ戦功勲章であり、古いズール族の伝統として、ズール族のシャカ王自らの手によって授けられたものである。
ディニ・ズルはシャカ王の孫である。
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