日本におけるスカウティングの歴史

【参考にしてください】




スカウティングの発生と日本のスカウティング

・1857年(安政4年)2月22日 創始者ベーデン・パウエル(以下B−Pと略)ロンドンにて生まれる。
・1899年(明治32年)B−Pの (Aid to Scouting) が出版される。
・1907年(明治40年)イギリスのブラウンシー島で実験キャンプ実施。
・1908年(明治41年)「スカウティング・フォア・ボーイズ」出版
ボーイスカウト運動がイギリス各地で起こる。
ロンドンの日本公使館の秋月左都夫全権公使が、日本政府にボーイスカウト運動の様子を報告する。秋月公使の報告に基づき、当時の牧野文部大臣は教育家に研究させ、日本でも取り上げようと考えた。
・1909年(明治42年)アンノーンスカウトの善行の話がきっかけで、ボーイスカウト運動がアメリカに伝わる。その後、スカウト運動が世界に広がる。
・1909年(明治42年)広島高等師範学校長北条時敬に調査を依頼し、北条はスカウト運動を調査し、参考文献やスカウトのユニフォームなど持ち帰った。内閣が変わり、時の小松原文部大臣はスカウティングを受け入れなかった。
北条氏はやむなく広島高等師範学校に資料を持ち帰り、付属中学校の校外団の制度を設けて試行した。
イギリスに留学した文部省の蒲生氏はスカウト運動に興味を示し、帰国後、桂太郎首相に建白書を提出したが、無視された。皮肉にも、後の初代総長になる後藤新平は時の逓信大臣であった。この頃から、日本においては民間の中に、あるいは在住外国人の中からスカウティングまたは似たような組織がが生まれていった。
・1911年(明治44年)乃木大将がロンドンでB−Pと会見。スカウト運動   を視察する。
・1912年(明治45年)4月2日 B−Pが日本を訪問する。横浜のイギリス人グリフィン氏のボーイスカウト隊  を訪問する。
※日本においてはスカウティングは容易に理解されなかったが、各地でボーイスカウトらしき組織の芽生えはあった。
・1913年(大正2年)東京、京都、旭川、沼津、静岡、大阪、福岡、富山などで少年団が発足する。
・1916年(大正5年) 「ウルフカブス・ハンドブック」が出版される。
・1920年(大正9年) 小柴博、、下田豊松、鈴木リチャードら、第1回世界ジャンボリーに参加(ロンドン・オリンピア)
「隊長の手引き(Aid to Scoutmastership)」が出版される。
・1921年(大正10年)5月17日 東宮殿下(昭和天皇)が渡英され、ロンドンにおいて、B−P卿と謁見される。そして、エジンバラで1,500名のスカウトを視察され、このような運動が日本にもあれば・・と述べられた。随行員であった二荒、竹下、小山らは各地の少年団を合わせた組織作りを始めた。
・1922年(大正11年)「ローバーリング・ツゥ・サクセス」出版される。   静岡市において少年団日本連盟が結成された(4月13日)。総長は後藤新平、理事長 二荒芳徳、副理事長 三島通陽
・1923年(大正12年)神戸市須磨に須磨向上会ウルフカブが誕生
・1924年(大正13年)機関誌「少年団研究」創刊。   「花は薫るよ」を連盟歌として採用。 少年団日本連盟は国際事務局に加盟登録をした。 佐野常羽が日本人として初めてギルウェル訓練所に入所する。
・1925年(大正14年)「少年団教範」刊行。「宣誓」と「おきて」制定。 日本において初めての第1回指導者実修所が山中湖畔で開設された。
・1926年(昭和元年)「青年健児教範」刊行。
・1927年(昭和2年)「幼年健児教範」刊行。
指導者訓練所を指導者実修所と改称し、第1回幼年部中央実修所が山中湖畔で開設された。
※軍部が国民教育に干渉を始める。軍部はボーイスカウト、ウルフカブは外国   かぶれしていると批判。
・1932年(昭和7年)「五指礼」問題が起こる。
※軍部は「三指」の敬礼でなく「五指」で敬礼するように圧力をかけた。
・1935年(昭和10年)少年団日本連盟は大日本少年団連盟と改称された。
※「五指礼」を採用せざるを得なくなった。
・1938年(昭和13年)海洋部が独立し、大日本海洋少年団連盟を結成。
・1941年(昭和16年)創始者B−Pがケニアで永眠。1月8日 少年団は統合されて「大日本青少年団」となる。機関誌「少年団研究」廃刊。
・1946年(昭和21年)ボーイスカウト運動の再建が承認される。
・1946年(昭和21年)各地で指導者講習会が開かれる。
・1947年(昭和22年)ボーイスカウト日本連盟として再発足する。   「ちかい」、「おきて」、「スカウト章」を制定。東京中央放送局から「ボーイスカウト物語」を全国放送。その後、スカウト章やボーイスカウトをデザインした民間商品が出現する。
・1948年(昭和23年)指導者実修所が開設される。
・1949年(昭和24年)全日本ボーイスカウト大会開催(皇居前広場)。 財団法人ボーイスカウト日本連盟と改称し、再建発足した。   再建日本連盟の通常総会でマッカーサー元帥を名誉総長に推挙する。
・1950年(昭和25年)栃木県西那須野町に「那須野営場」を開設。
・1951年(昭和26年)第1回名誉スカウト特別訓練実施(山中野営場)。 ※菊、隼、不二スカウト(現在の富士スカウト)を設ける。
・1952年(昭和27年)カブ、シニアー、ローバーのプログラムが開始された。
・1953年(昭和28年)機関誌「スカウター」創刊。
・1955年(昭和30年)機関誌を「スカウティング」と改題。   第1回1級スカウト富士特別訓練実施(山中)
・1956年(昭和31年)第1回日本ジャンボリー開催(軽井沢)。
・1957年(昭和32年)第1回日本ギルウェル実修所開設(山中野営場)。
・1958年(昭和33年)年長隊富士野営実施(828名参加)
・1960年(昭和35年)機関誌「スカウト」発刊。 第1回ローバームートが開催された(那須)。
・1962年(昭和37年)アジアジャンボリー(第3回日本ジャンボリー)開催。
・1969年(昭和44年)指導者養成制度をウッドバッジ訓練に移行。   ウッドバッジ実修所とウッドバッジ研修所に改称した。
・1970年(昭和45年)三鷹市に日本連盟のスカウト会館が完成。
・1971年(昭和46年)第13回世界ジャンボリー開催(朝霧高原)
・1972年(昭和47年)沖縄のボーイスカウトが日本連盟へ正式に移管。
・1973年(昭和48年)第1回日本アグーナリー開催(愛知県)
・1978年(昭和53年)団委員長特修所第1期が開設された。
・1981年(昭和56年)コミッショナー特修所第1期が開設された。
・1984年(昭和59年)第1回シニアースカウト大会(日本ベンチャー)が開催された。(南蔵王)
・1986年(昭和61年)ビーバー活動が正式に開始された。
・1987年(昭和62年)「おきて」を改正した。
・1990年(平成2年)ラルフローレンのデザインによる新しい制服が決まり、スカウト、指導者共、一定の移行期間を経て順次、新しいユニフォームに移行することになった。
・1991年(平成3年)ローバースカウト部門への女子の参加が認められることになった。
・1994年(平成6年)ガールスカウト日本連盟とボーイスカウト日本連盟の関係に関する共同声明が出された。
・1995年(平成7年)シニアースカウトに代わるベンチャー部門の試行隊ができる。試行期間2カ年間。             
全部門に女子の加入が認められ、ビーバースカウト部門から順次、女子を受け入れていくことになった。
・1996年(平成8年)財政確立の一つとして「ボーイスカウトカード」の発行


日本のカビング


・1907年 イギリスのブラウンシー島で実験キャンプが行われた。
・1908年 「スカウティング フォア ボーイズ」出版
※ボーイスカウト運動が世界に広がる。
※スカウト年齢に達しない少年も参加しはじめる。
※B−Pは年少者のためのプログラムが必要であると考えた。
※年少の少年が、B−Pの玄関の戸をたたいて、早く考えてくれと要求してきたこともある。
※たくさんの手紙がB−Pを攻撃してきた。
  ※ラジャード・キップリングの「ジャングルブック」を基盤に年少部の少年のためのプログラムを採用することになった。キップリングも協力した。
・1916年(大正5年) 「ウルフカブス・ハンドブック」が完成。   ウルフカブの組織ができ、イギリスに30,000人のカブが誕生した。
・1920年(大正9年) 第1回世界ジャンボリー(オリンピア)で、1,000人のカブが「大咆哮」を見事に行なった。
・1924年(大正13年)日本人が組織した最初のウルフカブが誕生。   古田誠一郎氏により、神戸市須磨に「向上会ウルフカブ」として発足。
・1926年(大正15年)佐野常羽がウルフカブの源流を探求するためイギリ   スのギルウェル実修所に入所する。
・1927年(昭和2年)第1回中央実修所幼年部課程が開設された。 所長は佐野常羽、所員に山口、福島、吉川のスタッフ。   この実修所から本式のウルフカブが出発した。
 ※ウルフ(おおかみ)是否論が起こり始める。日本では「狼」は悪であり、外国ではウルフは名誉称号であった。
※佐野常羽は「狼」に代わる私案「天狗」を発表する。天狗に訓練を受ける牛若丸はどうか・・・。
 ※菅原伝は「燕少年」を唱えた。(幸運の鳥、燕の尾が二指に似ている)
※関西では「狼」可能論、関東では「狼」反対論が多かった。関東、関西の意見が二分されたが、関東では多くが学校少年団の形態をとり、関西では地域での組織が多かった。
※軍部が国民教育に干渉を始める。
 ※軍部はボーイスカウト、ウルフカブは外国かぶれしていると批判。
・1932年(昭和7年)「五指礼」問題が起こる。
・1935年(昭和10年)「五指礼」を採用せざるを得なくなった。
ウルフカブを「年少部」と改める。
 ※「ジャングルブックの狼」を廃止した。「狼」を止め、「ジャングルブック」を見送った年少部は新しいテーマとストーリーを必要とし、ジャングルブックの日本的改作版「山の勇者」を作った。モウグリ少年に相当する「阿佐彦」と動物達の物語であった。合作者は三島通陽、春日嘉藤治、吉野順一、菅原伝、戸田和夫であった。しかし、「山の勇者」の物語も実際に活用されたのは昭和14〜15年の2年間だけであった。
・1936年(昭和11年)少年団は解散させられ、大日本青少年団に統合される。解散当時のスカウト人口は16万人。
・1938年(昭和13年)第1回ウルフカブ指導者会議がギルウェルにて開催された。日本からは古田誠一郎が参加した。
・1946年(昭和21年)ボーイスカウト日本連盟が再建される。
・1946年(昭和21年)各地で指導者講習会が開かれる。
・1948年(昭和23年)指導者実修所が開設される。
・1951年(昭和26年)カブの再組織時代が始まる。   ※アメリカ式のカブスカウトを採用することになった。運営や方法はアメリカ式を採用したが、訓育のテーマは金太郎を中心とした「足柄山物語」を創作した。
・1953年(昭和28年)山中野営場で特修実修所を開設する。5泊6日で幕営と舎営を併用し、食事は給食とし、セレモニーは「しっかり やれ、やれ、やーります」を用いた。
・1955年(昭和30年)カブ指導者中央実修所が開かれる。   所長 中村知、隊長 井上 茂、カブコールや「デン デン デン」を用いた。
・1959年(昭和34年)隊組織から団組織になった。   規約の上では年少隊、年少スカウト(略称としてカブ隊、カブスカウト)となり、学年進級になった。
・1960年(昭和35年)カブブックが3分冊になった。 日本ギルウェル実修所 ウルフカブコース第1期が開設された。   所長(アケーラ)古田誠一郎
・1989年(平成元年)日本連盟カブスカウト特別委員会により、全国30会場においてカブスカウト活動・制度移行に関する説明会が行われた。
・1990年(平成2年)カブスカウト部門の新規定が実施され、従来の金矢章、銀矢章はチャレンジ章に代わった。ステップ章、クリアー章、上進章も新設され、タスキの着用も認められることになった。
※カブスカウトのユニフォームが改正され、移行期間は、平成3年春より平成5年春の2カ年間となった。
・1996年(平成8年)カブ隊に女子の入隊が認められるようになった。


ビーバープログラム発足の経緯


・1970年代のはじめ、各国で「プレカブ」の構想ができた。
・大家族→核家族の時代になる。
・教育的見地からみても3〜8歳児の教育は大切である。
・モンテッソーリーの幼児教育の見直し。(イタリアの教育学者マリア・モンテッソーリー)
・第25回世界スカウト会議に於て、カブスカウト年齢未満児の「プレカブ」について討議された。


《日本では》
・カブの弟を参加させたい。子供会では小学1年生から入ることが出来るのに・・・・・・・・・・・
そのため小学1〜2年生の子供が他の団体へ流れてしまう結果になっていた。
・組織拡張の上からもビーバー隊を作ればカブ隊へ入隊する子供が増える。 (ベーデン−パウエルがボーイスカウトを作ったとき、集会に弟がついてきて、ウルフカブができた。)
・昭和55年 カブ年齢未満プログラム特別委員会が設置された。
・昭和57〜58年 16県連17ケ隊が「実験隊」として活動を試みる。
・昭和60年 32県連183ケ隊が「試行隊」として発足。
・昭和61年 日本連盟がビーバープログラムを正式に採用し、各地にビーバー隊が出来る。正式に加盟員として認めた。ビーバー隊隊長の資格は「ビーバープログラム説明会」の修了者とされた。
・昭和62年 今までの「ビーバー」の名称が「ビーバースカウト」となり、スカウトの一員として位置づけられた。ビーバー隊隊長の資格が「ビーバー隊長特修所」(2泊3日)の修了者に変わり、ビーバー隊長特修所が開設された。同年、以前の「ビーバープログラム説明会」の修了者を対象に「ビーバー指導者研修コース」が開設され、このコース修了者は「特修所」修了と同等の資格を認めた。
・平成2年 ビーバー隊隊長の資格が「ウッドバッジ研修所ビーバースカウト課程」(3泊4日)の修了者に変わり、「ウッドバッジ研修所ビーバースカウト課程」が開設された。
教育規定の改正により、いままでビーバー隊は任意の部門であったが、団の標準組織の中の部門として位置づけられ、ビーバー隊1ケ隊のみを有する団も認められることになった。
・平成6年  ビーバー隊への入隊は修学前の9月から幼稚園年長相当児を受け入れることができるようになった。
・平成7年  9月よりビーバー部門に女子の加入が認められ、女子のビーバースカウトが誕生した。

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